DQNとキラキラとおうがいと。 [いろいろ]
イマドキのお子様方のお名前は、読めないものが多すぎます。
というか、その字はどうやってもそう読まないでしょう的ないわゆる当て字が多すぎて、まともな読み方では読めないに決まっているということも多々あります。
昔は生まれた順番によって一郎とか三郎とか末吉とか、もうこれで生みおさめよ~ととめ吉とかでしたけど。
あ、生まれ年で辰子とかうしとかトラ、も一般的でしたね。
中国では「男子」をあらわす「子」が、なぜか日本では女子の名前に。
ところで、多少の当て字でも納得できるものと理解を超えるものがありますね。
うそかほんとか「泡姫」=アリエルって・・・?
なんか「悪魔」とわが子に名付けた人もいませんでしたか? むかし。
あまりにも度が過ぎたお名前は、キラキラネームとかどきゅんネームと呼ばれますが、これはなぜか、ちょっと考えてみました(笑)
むかしむかし、森鴎外がドイツに留学して、で孫が生まれた時にドイツ名を漢字で名付けたそうです。
これと現代のキラキラネームの違いは何か・・・?
鴎外は文人。文人で自国の文化を理解していない人はいないはず。
そして彼はネットもジャンボジェットもない時代に、はるかかなたの異国の地に行き、学問だけではなく日々の生活の中で否応なくカルチャーショックを体験し、異文化を体験。
自分の言葉とは違う言葉に囲まれ、自国とは違った生活様式や考え方を知る。
楽しいこともあったかもしれないけれど、自国でのステイタスなどまるで関係ない扱いを受けて、ショックを受けたり打ちのめされたり、言いたいことが言えなくて歯がゆい思いをしたこともあったかもしれない。
そして時には孤独を感じ、アイデンティティーについて考える。
やがて慣れてきたとしても、やはりその異国の人にはなりきれない、自分の中にまぎれもない日本人がいることに気付く。
異文化の中に暮らすとき、誰もが感じる違和感と日本人としてのアイデンティティ。
自分で感じるだけではなく、他者からも感じるそれら。
すっかりこの国に慣れたぞ、と思っても、なにか嫌なことやハプニングがあると日本人としての自分がなにか違和感を感じさせる。
それなのに、いざ帰国すれば自分が周りとすこし違っていることにも気づいて、首をかしげてしまう。
一度も異文化に触れたことのない人たちの中にいると感じる孤独。
自分は何者なのか。
かつてはこの人たちの中のひとりだったのに・・・見えない境界線を感じてしまう。
むこうではこうだったああだったと言ったところで、「何を言ってるんだ?ここは日本だぞ? お前は日本人だぞ?」、「この外国かぶれが」と言われると自分が間違っているのか、いや、そうじゃないというような葛藤に襲われる。
ほんの少年のころから外国を渡り歩いていたマルコ・ポーロも、ヴェネツィアの人(今で言うとイタリア人)といってもヴェネティアの人から見ればきっとかなりずれたヴェネツィアの人だったに違いないです。
そんな異文化の中で生活してみたことのあらゆる感慨から、その国に対する敬意やあるいは自国人としての誇りも絡めて、鴎外は孫たちにドイツ名を漢字でつけたのだ・・・・と思います。
つまり、文化的な理解を経た名づけ。
これは時代への挑戦だったのかもしれないです。
んー、でも、
戦後の高度経済成長期に生まれた人たちあたりからは、教育よりも経済発展を優先した国の方針のおかげで、個人個人が自分に甘い文化に甘やかされてきましたよね。
オヤが共働きになりかぎっ子が増え、核家族化でおじいおばあと接することない子供が増え、テレビとゲームが一番のお友達、レトルトや冷凍食品をレンジでチンして、好きなものを食べて嫌いなものは食べない。
辛いことはやらなくていいし、我慢とかまじうざいし。
そんな人たちがオヤになり、子供に「嫌ならやらんでえぇよ~」と言う。
かっこいいもの、すてきなものなら何でも好き。
なんかわかんないけど、かっこよければいいのさー、みたいな。
この「なんかわかんないけど」が曲者です。
いいじゃん~、かっこいい字並べてかっこいい名前にすればー、ということで、
すてきなお名前が世にあふれるのでした。
旧約聖書にもある男子のお名前が、最近は日本の女の子の名前としてよく見ます。
付けた理由は、「えー、なんか、かわいいじゃん?」
まぁ、車のお名前にもなってますけどね。
甥っ子の同級生には食べ物の名前とか、イタリア女子の名前の生粋の日本女子がいます。
まぁ・・・いいですけどね。
やがて自我が育ち、思春期になり、
「なんでこんなかわいすぎる名前つけたのぉぉ? 顔と合わないって男子に笑われるのに!」とか、
「お前、名前が強そうなのに全然弱いよな~」とか、
あるいは名前がDQNすぎて企業に内定を断られるとかしたときに、親に知性がなかったことを子供たちは恨むかもしれません。
昔は一郎とか次郎はとりあえずの名前で、元服すれば正式な名前になるから良かったけれど。
現代は成人したら名前がかえられるなんてないですものね。
DQNやキラキラネームとそうではない、素敵な名前との境界はどこにあるのか?
名前はこの世に生まれた愛するわが子への初めての親からの贈り物。
本を見たりいろいろ調べたりして、生まれる前から一生懸命に考えることでしょう。
一語一音の特質を生かした、音の響きでイメージを作るとか、
画数や漢字の組み合わせで本来の意味を大切にするとか。
でも名づけ本もびっくりするような名前を提案していることも多いですよね。
これ、アメリカの名づけ本でも同じ。日本語の名前としてこの21世紀に「イネ」とか載ってるし(笑)
んでも、「ここあ」とかね・・・
幼児はかわいいけど、おばあちゃんになり「ここあばあちゃん」とか・・・
名付けたご自身は、自分だったらどうなんだろうとか・・・考え・・・ないでしょうね。
せめて「こころ」にしておいて、「ここちゃん」とか愛称として呼べばいいのではないかと・・・
いえ、大きなお世話なのでしょうけどね(笑)
なんていうか・・・
キラキラネームはペットにつけてはいかがかと。ワンちゃんならぴったりかなぁ。
文化的な背景を理解していれば、おのずとまともな字、まともな名前になるはず。
少なくとも、キャバ嬢やホストの源氏名のような名前をわが子につけるのはあまりお勧めではないです。
たった1回でもいいから、日本人も改名のチャンスがあればいいのですけどね(笑)
好き嫌いの問題以上に、就職にも影響が出ると言われると、名前の責任は大きいのではないかと考えてしまう今日この頃です。
というか、その字はどうやってもそう読まないでしょう的ないわゆる当て字が多すぎて、まともな読み方では読めないに決まっているということも多々あります。
昔は生まれた順番によって一郎とか三郎とか末吉とか、もうこれで生みおさめよ~ととめ吉とかでしたけど。
あ、生まれ年で辰子とかうしとかトラ、も一般的でしたね。
中国では「男子」をあらわす「子」が、なぜか日本では女子の名前に。
ところで、多少の当て字でも納得できるものと理解を超えるものがありますね。
うそかほんとか「泡姫」=アリエルって・・・?
なんか「悪魔」とわが子に名付けた人もいませんでしたか? むかし。
あまりにも度が過ぎたお名前は、キラキラネームとかどきゅんネームと呼ばれますが、これはなぜか、ちょっと考えてみました(笑)
むかしむかし、森鴎外がドイツに留学して、で孫が生まれた時にドイツ名を漢字で名付けたそうです。
これと現代のキラキラネームの違いは何か・・・?
鴎外は文人。文人で自国の文化を理解していない人はいないはず。
そして彼はネットもジャンボジェットもない時代に、はるかかなたの異国の地に行き、学問だけではなく日々の生活の中で否応なくカルチャーショックを体験し、異文化を体験。
自分の言葉とは違う言葉に囲まれ、自国とは違った生活様式や考え方を知る。
楽しいこともあったかもしれないけれど、自国でのステイタスなどまるで関係ない扱いを受けて、ショックを受けたり打ちのめされたり、言いたいことが言えなくて歯がゆい思いをしたこともあったかもしれない。
そして時には孤独を感じ、アイデンティティーについて考える。
やがて慣れてきたとしても、やはりその異国の人にはなりきれない、自分の中にまぎれもない日本人がいることに気付く。
異文化の中に暮らすとき、誰もが感じる違和感と日本人としてのアイデンティティ。
自分で感じるだけではなく、他者からも感じるそれら。
すっかりこの国に慣れたぞ、と思っても、なにか嫌なことやハプニングがあると日本人としての自分がなにか違和感を感じさせる。
それなのに、いざ帰国すれば自分が周りとすこし違っていることにも気づいて、首をかしげてしまう。
一度も異文化に触れたことのない人たちの中にいると感じる孤独。
自分は何者なのか。
かつてはこの人たちの中のひとりだったのに・・・見えない境界線を感じてしまう。
むこうではこうだったああだったと言ったところで、「何を言ってるんだ?ここは日本だぞ? お前は日本人だぞ?」、「この外国かぶれが」と言われると自分が間違っているのか、いや、そうじゃないというような葛藤に襲われる。
ほんの少年のころから外国を渡り歩いていたマルコ・ポーロも、ヴェネツィアの人(今で言うとイタリア人)といってもヴェネティアの人から見ればきっとかなりずれたヴェネツィアの人だったに違いないです。
そんな異文化の中で生活してみたことのあらゆる感慨から、その国に対する敬意やあるいは自国人としての誇りも絡めて、鴎外は孫たちにドイツ名を漢字でつけたのだ・・・・と思います。
つまり、文化的な理解を経た名づけ。
これは時代への挑戦だったのかもしれないです。
んー、でも、
戦後の高度経済成長期に生まれた人たちあたりからは、教育よりも経済発展を優先した国の方針のおかげで、個人個人が自分に甘い文化に甘やかされてきましたよね。
オヤが共働きになりかぎっ子が増え、核家族化でおじいおばあと接することない子供が増え、テレビとゲームが一番のお友達、レトルトや冷凍食品をレンジでチンして、好きなものを食べて嫌いなものは食べない。
辛いことはやらなくていいし、我慢とかまじうざいし。
そんな人たちがオヤになり、子供に「嫌ならやらんでえぇよ~」と言う。
かっこいいもの、すてきなものなら何でも好き。
なんかわかんないけど、かっこよければいいのさー、みたいな。
この「なんかわかんないけど」が曲者です。
いいじゃん~、かっこいい字並べてかっこいい名前にすればー、ということで、
すてきなお名前が世にあふれるのでした。
旧約聖書にもある男子のお名前が、最近は日本の女の子の名前としてよく見ます。
付けた理由は、「えー、なんか、かわいいじゃん?」
まぁ、車のお名前にもなってますけどね。
甥っ子の同級生には食べ物の名前とか、イタリア女子の名前の生粋の日本女子がいます。
まぁ・・・いいですけどね。
やがて自我が育ち、思春期になり、
「なんでこんなかわいすぎる名前つけたのぉぉ? 顔と合わないって男子に笑われるのに!」とか、
「お前、名前が強そうなのに全然弱いよな~」とか、
あるいは名前がDQNすぎて企業に内定を断られるとかしたときに、親に知性がなかったことを子供たちは恨むかもしれません。
昔は一郎とか次郎はとりあえずの名前で、元服すれば正式な名前になるから良かったけれど。
現代は成人したら名前がかえられるなんてないですものね。
DQNやキラキラネームとそうではない、素敵な名前との境界はどこにあるのか?
名前はこの世に生まれた愛するわが子への初めての親からの贈り物。
本を見たりいろいろ調べたりして、生まれる前から一生懸命に考えることでしょう。
一語一音の特質を生かした、音の響きでイメージを作るとか、
画数や漢字の組み合わせで本来の意味を大切にするとか。
でも名づけ本もびっくりするような名前を提案していることも多いですよね。
これ、アメリカの名づけ本でも同じ。日本語の名前としてこの21世紀に「イネ」とか載ってるし(笑)
んでも、「ここあ」とかね・・・
幼児はかわいいけど、おばあちゃんになり「ここあばあちゃん」とか・・・
名付けたご自身は、自分だったらどうなんだろうとか・・・考え・・・ないでしょうね。
せめて「こころ」にしておいて、「ここちゃん」とか愛称として呼べばいいのではないかと・・・
いえ、大きなお世話なのでしょうけどね(笑)
なんていうか・・・
キラキラネームはペットにつけてはいかがかと。ワンちゃんならぴったりかなぁ。
文化的な背景を理解していれば、おのずとまともな字、まともな名前になるはず。
少なくとも、キャバ嬢やホストの源氏名のような名前をわが子につけるのはあまりお勧めではないです。
たった1回でもいいから、日本人も改名のチャンスがあればいいのですけどね(笑)
好き嫌いの問題以上に、就職にも影響が出ると言われると、名前の責任は大きいのではないかと考えてしまう今日この頃です。
おっ、ここ秘密のBlogになったんだね^^
ウチの娘の名前ね、読み間違いがない、よび易い、運勢とかで嫌な思いをしない、婆さんになっても大丈夫を最優先したけど、間違いじゃないみたいだね
深く考えた訳でもないんだけど、呼び捨てし易い名前にした
日本語において、人の名を呼び捨て出来るのは、犯罪者でなければ、仲が良くて信頼している証でもあると思うので、「響き」を大切にしたよ
文字の意味より、人に可愛がってもらえるように考えたつもり^^
by Rose (2014-05-15 04:28)
こんにちは。
子供を持った事が無いので親の気持ちがリアルには
分からないのですが、知人に「寧」と一字が入る名前
の方がいらっしゃるのです。
「寧」は住む所や食べ物に困らない人生を送るという
意味があると事典で読み、親御さんに愛されているなぁと、
羨ましくなりましたよ。
キラキラネームもそんな意味が隠されていると素敵ですね。
by 月乃 (2014-05-15 05:19)
私の名前は父がいくつか考えたものをお寺に持って行って、僧正に選んでもらったらしいです。西欧圏でも似た響きのがあるので、外国人にすぐ覚えられますが、スイス人の友達に、「ドイツ語圏だとおばあちゃんの名前だね~あはは」と言われました。日本で言う「花子」的な。
呼びやすい、読みやすい、これってひとに親しみを持ってもらえる好条件ですよね。響きは最重要ですよ~。同じ名前でも苗字との組み合わせによって運命が変わりますよね。
ちなみに、私の名前を選んだ僧正が亡くなり、息子さんがあとをついで僧正になって久しぶりにお会いした時に、「ふーん、なんでこんなつよい名前つけちゃったかねぇ~? あちこち飛び回って、落ち着かない名前だねぇ」と言われましたよ。アナタのお父さんが選んだんやーん!と突っ込みたかったんですが。
何かの本で読んだのですが、自分の名前を一音ずつ、なにかいい意味付けをすると運が上がるのだそうです。
たとえば近年人気ベスト10に入る名前だと、
*みさき
み→みたされた
さ→さわやか
き→きぼうにみちている
*だいち
だ→だいじょうぶ
い→いいんだよ
ち→ちゃーみんぐ
みたいな? なんでもいいけど、いい意味の言葉を思い浮かべるといいんですって。
by niki (2014-05-15 11:15)
「寧」は安寧、女の子にはぴったりの字ですね。
秀吉の北政所が「寧々」さんでしたね。
最近「寧々」も人気の名前のようですね。
ゆったりと安定感のあるイメージだと思います。
母音が最初に来る女子は気が強い人が多いですね。
友達の子供は苗字が母音から始まり名前も母音、しかも二字めも「い」の音なので、「めっちゃ気が強い女子になるよ」と予言したんですが、その通りになってきました(笑)
大体、音をきけば何番目生まれなのか、どんな性格なのかたいていわかるようになってきました。毎日多くの人たちと接するのでわかるようになった、今のところあまり役に立たない特技ですが(笑)
2番目の甥っ子が生まれた時、親たちがつけたいと言った名前の一番候補を見て、うーんと思いました。
「この字だと、お兄ちゃんをないがしろにしてでばっちゃうよ」とアドバイスしました。「こっちのほうが、お兄ちゃんを助けるって意味があるからいいんじゃない~?」と言った字が、専門家のOKももらえたので採用されましたw
それが甥っ子おまめちゃんの名前になりました(笑)
1番目の甥っ子は長男らしく字のごとくマイペースです。
2番目は次男らしくおおらかで天真爛漫の自由人です。
名前って不思議ですね~^^
by niki (2014-05-15 11:25)
ペット感覚なんでしょうね、、
自分の子なので、それなりに真剣なのでしょうが、、
真剣なのに、アレなのが、問題なのでしょうね^^;
by ginchanx_5150 (2014-05-15 18:43)
私の名は、父親が決めた名前に、伯父(伯母の旦那)に一字を加えられました。字画がどうの、と言われて。
っで、中学の頃、よく、からかわれましたね。
ただ、齢を重ね、自分で解釈し、キャッチフレーズ化してましたね。^^
大学の頃は、「名は体を表す」と。
最近は、「名前負け」と評されて?^^;
by あらっ!たまちゃん。 (2014-05-15 22:15)
いろいろ親の思いが解りますが、
ただ余り読めない当て字は困りますよね!?
by タッチおじさん (2014-05-16 13:04)
ペットと子供と源氏名の境界線がないことが問題かなぁと思います。
私のお友達と知人で、
1 お父さんがッミア・ファーロウのファンで「みあ」と名付けられた
2 お父さんが三田佳子のファンで佳子
というお二方がいらっしゃいますが、みあちゃんはチャーミング、佳子さんは佳人というより、サザエさんの花沢さんみたいな人です(笑)
三田佳子さんは大女優さんでいらっしゃいますが、ぽっと出の流行りの芸能人と同じ名前を付けられるとなんか、なんかですね・・・
おじいおばあが名前をごり押しするということもあるみたいですが、友達が子供につけた名前をことごとく真似して自分の子につけるという人がいて、そんな人の心理って理解できないです^^;;;
by niki (2014-05-16 13:10)
字画数は結構、運命を左右すると思います~。
女子は結婚で運命が変わる人がいるというけれど、本来の名字に合わせてつけられた名前ならば納得ですよね。
男子は変わらない人が多いので、生まれた時の画数は大事ですね。
私もおまめちゃんの漢字にはちょっと口出ししてしまいましたが^^;;
キャッチフレーズ化するほどならばご自分のお名前を愛しているということなので、よいことだと思います。自分の名を愛せる人は幸せなのです。
by niki (2014-05-16 13:16)
そうなんです。
どう考えてもそうは読まないでしょう~というところが、困った問題なのです。
「その字をお名前に使っちゃいますか・・・」みたいなのも、かっこよさだけを重視して、字が難しすぎたりとか。
かといってアフリカのある地域のように、悪魔に連れ去られないように「ブサイクちゃん」とか「うんちくん」的なお名前を付けられるのもイヤですけどね~^^;;
by niki (2014-05-16 13:20)
名前の付け方でだいたいどんな家庭事情なのか
わかるそうですよ。
昔「子のつく名前は賢い子が多い」という本を読みました。
それによくと、いわゆる「子」がつく名前は保守的な家庭なのです。
ということは、現実をきちんと把握して、生まれた子が成長したとき、
その名前で、損をするか得をするかをきちんと考えるられる親だといえるのです。
反対にドキュンネームをつけた親というのは、
ふわふわとした非現実的な夢想をしがちな親だということです。
by sadafusa (2014-05-21 19:41)